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■第5回■
――バンクーバーでお撮りになった長編映画は、どんな作品なんですか?
『tears of the rabit』という、飲めば不老不死になると言われる「ウサギの涙」を巡る娯楽映画で、僕自身が当時まだ撮ったことのなかったアクションシーンもふんだんに入っているし、ダンスシーンやアニメーションシーン、それから、影絵や馬のチェイスシーンなどもあって、そういう意味では当時のできる限りを盛り込んだ作品です。
――それにしても、100万円でそんな普通には撮れないシーンが満載の贅沢な作品を撮れるものなんですか?
普通に撮ったら撮れないですね。僕の場合は、役者スタッフ全員ボランティアでお願いしましたし、資材もかなり無償で提供してもらいました。
――ボランティアで撮影を成立させるのも、かなり大変なんじゃないかと思うんですが......。
そりゃあもう、大変です(笑)。でも、みんな楽しんで撮影に参加してくれたし、実際、できあがったものが僕の当初の予想を超えたものになっていたので、よかったと思います。
――何人くらいのボランティアの方を巻き込んで作られたんですか?
1日だけ来てくれた人なんかを入れると、200人くらいですね。銃や刀、手裏剣を持ってきてくれた人なんかもいます。
――200人のボランティアのモチベーションをどうやって保たれたんですか? 1本の映画は、勢いだけでは撮れないですよね。
ポイントはいっぱいあると思うんですが、ひとつは、時代劇だったこと。僕は、SF時代劇アクションって呼んでるんですが、簡単に言うと、サムライの格好を した白人のアクション映画なんです。『ラスト・サムライ』の後でしたし、むこうの役者さんは、普段「サムライ」や「ニンジャ」なんてやれないですからね。そ れで、「おもしろそう」って思ってもらえた面がすごく大きかった。普通のラブストーリーだったら難しかったと思います。
――しかもそれを、日本人監督が撮るんですもんね。他にはどんなポイントがあったんですか?
僕の現場を、参加してくれる人たちにとっての自己実現の場にするということですね。
日本ならどうかはわかりませんが、カナダでは、自分がサポート役に徹するって言うのはまず無理なんですよ。だから、なるべく彼らがやりたいと思うことをや らせてあげるようにしたんです。照明でも衣裳でも芝居でも、元々僕が考えたのとは違うアイディアや意見でも、方向性が大きくずれていなければ、「いい ねぇ」って好きにやってもらう。そうすることで、彼らは自己実現の場として撮影現場にどんどんエネルギーを注いでくれるようになりました。
――なるほど。そもそもそんな無謀な計画を、どうやって思いつかれたんですか?
実は、この作品を撮るきっかけになった本があるんです。ロバート・ロドリゲスが最初の作品『エル・マリアッチ』を7000ドルで作って、それをハリウッドに 売り込んで成功した当時の日記をまとめた、『ロバート・ロドリゲスのハリウッド頂上作戦―23歳の映画監督が7,000ドルの映画でメジャー進出!』(ロバート・ロドリゲス著・新宿書房刊)という本 が、それなんですが......。
――わぁ、面白そう!
もう、めちゃくちゃ面白いですよ(笑)。
当時彼は大学生で、バイトして必死にお金を貯めて、『エル・マリアッチ』を撮った。そしてその作品を手に単身ハリウッドに乗り込 んで、作品を売り込んで歩いたんです。もちろん苦労するんですが、やがてある人の目にとまって、一躍メジャーに駆け上っていくんです。
それを読んで、当時の僕は、「ロバート・ロドリゲスでできるなら、俺でもできる」と根拠なく思って、自分も低予算で大作映画を作ろうと挑戦したんです(笑)。
――根拠なく思って、挑戦して、それで、撮りあげちゃったんですもんね。
ええ。今最後の音入れがやっと終わろうとしているところで、4年越しのプロジェクトになってしまったんですが(笑)。
――壮大なプロジェクトですね。
詳しく話すと長くなってしまうんですが、スケジュールの調整に始まって、ロケーションや季節の問題、アクションシーンの編集など、とにかく問題が山積みで、時間がかかってしまったんです。日本に帰って来て、いざ仕事が始まると、それ以降はずっとプロジェクトが5~6本走っているような状況で、あと7日あれば完成するというところまで来て、その7日が、この2年間結局取れなかったんですよ(笑)。
――いやー、聞けば聞くほど、早く拝見したいです。
そうですね、僕も早く観たいです(笑)。
――TOMOさんがそこまでできたのは、結局、何があったからだと思います? 他の多くの人にはなくて、TOMOさんにはあるもの......。
取り立てて才能があるわけでもない僕がなぜそれをできたのかというと、結局、意志の力、思いの強さがあって、その上でとにかく行動できたからだと思うんですよ。情熱をもって諦めずに動くというのはとても大事なことだし、それさえできれば、何でもできるんじゃないかと、僕は、半ば本気で信じているんです。
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■TOMO(合田智一)さんプロフィール■
1973年東京出身。中央大学法律学部法律学科卒。6年間のサラリーマン生活の後、29歳で渡加。バンクーバー・フィルム・スクールにて映画製作を学ぶ。
短 編第一作『Before, After』(2003年)はフジテレビ「ショートショート制作部」にて最優秀撮影賞を受賞など、国内外の映画祭に多数入選。短編第2作『for the beauty of falling petals』(2004年)はバンクーバー、トロント、ウィスラー等の映画祭にて入選。2006年に帰国、フリーランスの映像クリエイターとして活動を 開始。2007年、株式会社インディゴ・フィルムズを設立。初監督作品、SF時代劇アクション、『The Tears of the Rabbit』が2008年公開予定。
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>>biglobeのHPで、インディゴ・フィルムズ制作・TOMOさんがディレクターを務めていらっしゃる、「はたらくげんき」がご覧になれます。(*視聴できるのは最新版のみ。TOMOさんは、全12本中4本担当されています)。詳しくはこちら
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1日だけ来てくれた人なんかを入れると、200人くらいですね。銃や刀、手裏剣を持ってきてくれた人なんかもいます。
――200人のボランティアのモチベーションをどうやって保たれたんですか? 1本の映画は、勢いだけでは撮れないですよね。
ポイントはいっぱいあると思うんですが、ひとつは、時代劇だったこと。僕は、SF時代劇アクションって呼んでるんですが、簡単に言うと、サムライの格好を した白人のアクション映画なんです。『ラスト・サムライ』の後でしたし、むこうの役者さんは、普段「サムライ」や「ニンジャ」なんてやれないですからね。そ れで、「おもしろそう」って思ってもらえた面がすごく大きかった。普通のラブストーリーだったら難しかったと思います。
――しかもそれを、日本人監督が撮るんですもんね。他にはどんなポイントがあったんですか?
僕の現場を、参加してくれる人たちにとっての自己実現の場にするということですね。
日本ならどうかはわかりませんが、カナダでは、自分がサポート役に徹するって言うのはまず無理なんですよ。だから、なるべく彼らがやりたいと思うことをや らせてあげるようにしたんです。照明でも衣裳でも芝居でも、元々僕が考えたのとは違うアイディアや意見でも、方向性が大きくずれていなければ、「いい ねぇ」って好きにやってもらう。そうすることで、彼らは自己実現の場として撮影現場にどんどんエネルギーを注いでくれるようになりました。
――なるほど。そもそもそんな無謀な計画を、どうやって思いつかれたんですか?
実は、この作品を撮るきっかけになった本があるんです。ロバート・ロドリゲスが最初の作品『エル・マリアッチ』を7000ドルで作って、それをハリウッドに 売り込んで成功した当時の日記をまとめた、『ロバート・ロドリゲスのハリウッド頂上作戦―23歳の映画監督が7,000ドルの映画でメジャー進出!』(ロバート・ロドリゲス著・新宿書房刊)という本 が、それなんですが......。
――わぁ、面白そう!
もう、めちゃくちゃ面白いですよ(笑)。
当時彼は大学生で、バイトして必死にお金を貯めて、『エル・マリアッチ』を撮った。そしてその作品を手に単身ハリウッドに乗り込 んで、作品を売り込んで歩いたんです。もちろん苦労するんですが、やがてある人の目にとまって、一躍メジャーに駆け上っていくんです。
それを読んで、当時の僕は、「ロバート・ロドリゲスでできるなら、俺でもできる」と根拠なく思って、自分も低予算で大作映画を作ろうと挑戦したんです(笑)。
――根拠なく思って、挑戦して、それで、撮りあげちゃったんですもんね。
ええ。今最後の音入れがやっと終わろうとしているところで、4年越しのプロジェクトになってしまったんですが(笑)。
――壮大なプロジェクトですね。
詳しく話すと長くなってしまうんですが、スケジュールの調整に始まって、ロケーションや季節の問題、アクションシーンの編集など、とにかく問題が山積みで、時間がかかってしまったんです。日本に帰って来て、いざ仕事が始まると、それ以降はずっとプロジェクトが5~6本走っているような状況で、あと7日あれば完成するというところまで来て、その7日が、この2年間結局取れなかったんですよ(笑)。
――いやー、聞けば聞くほど、早く拝見したいです。
そうですね、僕も早く観たいです(笑)。
――TOMOさんがそこまでできたのは、結局、何があったからだと思います? 他の多くの人にはなくて、TOMOさんにはあるもの......。
取り立てて才能があるわけでもない僕がなぜそれをできたのかというと、結局、意志の力、思いの強さがあって、その上でとにかく行動できたからだと思うんですよ。情熱をもって諦めずに動くというのはとても大事なことだし、それさえできれば、何でもできるんじゃないかと、僕は、半ば本気で信じているんです。
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■TOMO(合田智一)さんプロフィール■
1973年東京出身。中央大学法律学部法律学科卒。6年間のサラリーマン生活の後、29歳で渡加。バンクーバー・フィルム・スクールにて映画製作を学ぶ。
短 編第一作『Before, After』(2003年)はフジテレビ「ショートショート制作部」にて最優秀撮影賞を受賞など、国内外の映画祭に多数入選。短編第2作『for the beauty of falling petals』(2004年)はバンクーバー、トロント、ウィスラー等の映画祭にて入選。2006年に帰国、フリーランスの映像クリエイターとして活動を 開始。2007年、株式会社インディゴ・フィルムズを設立。初監督作品、SF時代劇アクション、『The Tears of the Rabbit』が2008年公開予定。
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>>biglobeのHPで、インディゴ・フィルムズ制作・TOMOさんがディレクターを務めていらっしゃる、「はたらくげんき」がご覧になれます。(*視聴できるのは最新版のみ。TOMOさんは、全12本中4本担当されています)。詳しくはこちら
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